泳道楽 (9) 〜 勝負の心理 〜 高橋大和 |
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■ 勝者の視点 『勝ちに拘って戦いに挑み、勝ち負けの結果には拘らない』
これが勝負に挑む時の極意だ。 その『結果に囚われない』ところから生まれる『余裕』が、多様な状況に対応できる柔軟性に繋がり、結果的に強さを生む。
『勝ちに拘って戦いに挑み、結果も勝つ事に拘る』 のとは、似ているようで、まったく違う。
トップを目指す選手に求められている事は、 『物事の捉え方(物事の見方)』 だ。
体力的な事や、技術的な事を追い求めるのは当たり前の事であって、トップ選手にそんな事は、わざわざ求められていない。 そんな事は、『トップの場で戦えるようになるまで』に求められている事だ。
トップを争う戦いの場で求められているのは、心技体における『心』の部分で、『心』を支えている要素の中で最も重要なものが、『物事の捉え方』だ。
■ 弱者の視点 弱い選手は、勝利に拘るあまり、結果にまで拘ってしまっているが、それは、勝利に拘っているのではなく、 勝利にしがみついているに過ぎない。
『拘り』はポジティブな心理だが、『しがみつき』はネガティブな心理だ。
勝利は、ネガティブ支配の状況からは、生まれない。 勝利のほとんどは、プラスの状況を積み上げ、勝てる状況を作って戦った結果、転がり込んできたものだ。
『物事の左右は、両側で繋がっている』せいで、 『拘っている人』と『しがみついている人』 は、他人から見ると、よく似ているように見える。
しかし、『拘り』と『しがみつき』の心理は、正負、真逆だ。 ※※ 備考 ※※ 『しがみついて、負け続け、そして気付き、拘りを知る』 事もあるし、 『拘り過ぎて、いつしか、自分の気付かない間に、しがみついていた』 という危険性もある。 左右の両端は繋がっていて、その『裏で繋がっている部分での差』は紙一重しかなく、その『紙一重の差』を扱う事を求められるのが、トップを争う場だ。
『拘り』のポジティブな心理は、勝利を引き寄せ、 『しがみつき』のネガティブな心理は、負けを引き寄せる。
結果にしがみつけば、しがみつくほど、負ける状況を自分の心が受け入れられなくなり、心理的な不安が増大する。
『不安は、拒絶する心理から来ている』からだ。 『受け入れる心理』には、感情的な好き嫌いは発生しても、不安は生まれない。
『やれるだけの事をやって負けたのなら、仕方ない。仕方ないと諦めるだけの事はやってきた』 と、負けた場合も受け入れられる余裕が、逆に強さを支えている。
一方、負ける事を拒絶する事で生まれた『心理的な不安』の方は、『やらなくてもよい余計な行動』に繋がり、『やる必要のある大胆なレース』は、逆に出来なくする。
勝利に繋がる大胆なレースは、 『自分のレースが出来る状況を自分で作ってから、戦いに挑む』 から出来るのであって、 『大胆なレース(自分のレース)が出来ないような心理状態』 の中で、『自分のレースをするんだ』と、いくら念仏を唱えた所で、出来るはずもない。
勝負の9割以上は、勝負の前までに決まっていて、実際の勝負は単に、その決着を付けているだけに過ぎない。 逆に言えば、選手は勝負をするまではする事があるが、勝負の決まる瞬間は運を天に任せるくらいしか、する事はないといっても言い過ぎではないくらいだ。
勝てる状況を作ってきたから、勝利という結果に繋がるのであって、負けるような状況を作ってきたら、当然、負けるのである。
勝負弱い選手は、『自分で負けを引き寄せている』事に気付く必要がある。 『負けて当然』の状況を自ら作り、負けている。
『結果は、そこに至るまでの過程に付随した出来事』 であって、 『結果に、過程が付随している』わけでは、ない。
つまり、『結果』によって、それまで歩んで来た過程が左右される事はなく、『そこまでの過程』に、結果の方が左右されているのである。
『生まれ持った運が悪いからいつも負けるのではなく、自分が負けを引き寄せているから勝負弱いといったような、現実の見方ができる視点を手に入れていない』 から、勝負弱いのである。
他のトップ選手はすでに気付いているから、勝負強いのだ。
■ 心 『勝ちに拘って戦いに挑み、勝ち負けの結果には拘らない』 というのは、もっと端的に言うと、 『過程(プロセス)に拘り、結果には拘らない』 という事だ。
『負けるという結果』に対してだけでなく、勝負弱い選手が勝った時にいつまでも持っている『勝った事への執着心』も、勝負強い選手の中にはない。
勝負強い選手の関心は、勝っても負けても、 『それまでの過程』と、『結果を次にどう繋げていくか?』 という所に向いている。
『勝ってうれしい』『負けて悔しい』は、その瞬間だけに沸き起こる感情で、感情をその後のプロセスにまで、いつまでも引きずるような事はない。
その代わりに強い選手には、『勝ち方』にも、『負け方』にも、強い拘りがある。 単に勝てれば良いわけではなく、勝つまでに歩んだ過程が納得のいくプロセスでなければ、良い結果にも満足はしない。 逆に、その時の自分にとって最善のプロセスを経た結果が、『負け』であるのなら、その悪い結果にも納得する。
そこには、勝負弱い選手が持っているような、悪い結果に対する恐れはない。
『未来の結果に対して不安を抱えて、ネガティブな姿勢で勝負に挑む選手』 と、 『プロセスに納得して未来の結果に不安なく、ポジティブな姿勢で勝負に挑む選手』 のどちらが勝負強いかは一目瞭然だ。
勝負弱い選手が、『プロセスに納得し、自信をもって勝負に挑んでくる選手の姿に怯え、自滅する』のは、当然の結果だ。
選手がやるべき事は、『自分がやれる事をやる』事であり、戦いで出来る事とは、結果が出る瞬間までの部分だ。 『勝った負けたの結果』をどうこうする事はできない。
『どんな結果でも納得できるようにやってくる事』
それが選手のやるべき事、やれる事なのだ。
それ以上は天(神様)が決める事で、人間がどうこうできるものでもなく、人間がどうこう考える事でもない。
それが、人間が出来る事で、それ以上でも、それ以下でもない。
『勝利するために』という、選手たちがみな持つ同じ目標の中にあるグレーゾーンにおいて、 『拘り』と『しがみつき』 に、うまくラインを引いて扱いきれる 『視点』と『バランス感覚』 を身に付けている事が、強さの秘訣だ。
勝負強い選手の心理は、弱い選手が持っているような『結果へのしがみつき』がないために、結果に囚われる事なく(未来の結果に怯える事なく)、自分のやるべき事をやる事ができ、結果的に自分のレースをして勝利に繋がっている。
一方、結果にしがみつく選手の心の中では、僅差の微妙な勝負に挑む時ほど、 『また、いつものように負けるんじゃないか?』 という不安が支配的になる。 『勝利という結果』にしがみついているがために、ネガティブな心理が心を覆い、結果的に、余計な事をしたり、消極的なレースをしやすくなって、負けやすくなる。
しかし、ここで、 『強い選手と弱い選手では、持っているものが違う』 などと、浅はかに現実を見てはいけない。 それは、弱者の単なる言い訳だ。
人間の持っている心は多少の差はあれど、誰の心にも同じものが住んでいて、誰の心にも恐怖心は住んでいる。
ただ、両者の違いは、勝負弱い選手が、 『負けるという結果を恐れている』 のに対して、勝負強い選手は、 『自分のやるべき事をやらざるして負けるのを恐れている』 という部分である。
弱い者が結果に拘り、強い者が過程(プロセス)に拘る。 『見ている部分の違い』、すなわち、『持っている視点の違い(使っている視点の違い)』である。
臆病な人間ほど、大きな恐怖心を持つ。 しかし、『何に対して恐れるか?』で、その結果はまったく違ってくる。
視点が『結果』に向いていた時には、 戦う気持ちを萎縮させ、勝利への足を引っ張る事に使われていた臆病心も、 視点が『プロセス』に向い時には、 『自分のやるべき事をやらざるして負けた時の事』を恐れるようになり、 勝利に必要な選択を迫られた時に勇気を与え、背中を強力に押してくれる原動力となって、自分のレースが出来るようになる。
臆病な人間の視点がプロセスに向いたその時、生まれ持った臆病心は、強力な武器となる。 臆病ではない人間の心よりも、強い武器になる。
持っているものを、悪い方に使えば弱点になり、良い方に使えば武器になる。 自分が持っているものを、良し/悪しどちらに使か決めているのは、自分の『物事の捉え方』だ。
トップを争う場では、『物事を捉える視点』が求めれれている。
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